バイク乗りという生き方②

いきなり中二病全開なタイトルではじめた
コラムの第二弾です。

バイクに乗っている人・所持している人に聞きたいことがあります。



バイクに乗る前に行う儀式的なモノはありませんか。

例えば、身に着けるもので言えば、

・ ツナギを着る
・ ライディングパンツ・ジャケットを着る
・ プロテクターを身に着ける。
・ バイク用エアバッグを装着する。
これらもある種の儀式になりませんか?
これらの装備をするだけで、日常から非日常への精神の切替を行う。
無意識のうちに、儀式になっていませんか?
この辺は、安全に対する意識によって身に着けるものが変わってきますが、
ごく一般的な装備です。

例えば、バイクを車庫や駐輪場から出す時でも、

・ 盗難防止装置を止める。
・ 地球ロックを外す。
・ チェーンやU字ロックを外す。
・ バイクカバーを外す・畳む・仕舞う。
・ ハンドルロックを外す。
・ 行動まで移動する。
これらの準備をしていると、
気持ち的に盛り上がってきて、
「よ~し、走るぞ!」
という気持ちになりませんか。

例えば、エンジンをかける際に


・ アクセサリーまで回してチェックランプが消えるのを待つ。
・ 一呼吸おいてからセルを回す。
・ キックでエンジンを始動するのなら、キックする姿勢を作る。
こんな事をして、
気持ちを切り替えていませんか。

例えば、エンジンがかかった後で

・ グローブを嵌めながら
・ ヘルメットのアゴヒモを締めながら
・ タコメーターを見ながら
気持ちを切り替えていませんか。
基本的にはこれらの気持ちの切り替えは無意識に行っているハズです。

要は気持ちの切り替え

バイク乗りならば、どんな行為でも構わないのですが、
走り出す前に、気持ちが切り替わっていることが重要です。
中二病っぽい表現をすると、
バイクで走り出すということは、非日常の世界へ踏み込むということなのです。
今までなかった危険がすぐ隣に来ることになり、
今までは守られていた身体が外敵にさらされることになり、
「自分の身は自分で守る」
「一つ一つの判断が自己責任」
となり、すべての災厄は自分に降りかかってくることになるのです。

実体験でいうと

中二病患者が何を言っているんだよと思うかもしれないので、
筆者が経験をしている災厄を紹介します。

【昆虫アタック】

・ 読んで字の如く、昆虫によってもたらされる災厄です。
法定速度で森林公園の近くを走っていたと仮定します。
黄金虫がカナブンが、時にはスズメバチが
おそらく、彼らは普通に飛んでいるだけなんです。
そこに、想定外の速さでバイクに乗った我々がぶつかりに行くのです。
運が悪いとヘルメットのシールドにヒビが入ることがあります。
筆者は経験がありませんが、さらに運が悪い人はシールドが割れる可能性もあると思います。

【目潰し】

・ これも、見たままです。
時には蚊柱だったり、
時には舞い上がった埃だったり、
シールドや眼鏡をしていなければ、上記の昆虫だったり。
目に入るのは綺麗な景色だけではありません。
運転中に突然目潰しに合うことがあるのです。
【バイクを敵視している運転手たち】
バイクとみれば幅寄せをしてくる人
バイクをやたらと煽る人
バイクを軽く見て無理やり前に入ろうとする人
バイクが直進なのに無理やり右折してくる人
バイク乗りには人権がないと思っている人

【気象条件】

突然崩れる天候
雨は視界を奪い、体温を奪い、タイヤのグリップを奪う。
風はバランスを奪い、体力を奪い、精神力を奪う。
霧は視界を奪い、体温を奪い、気力を奪う。
雪は…走れないよね。
軽く上げてみましたが、簡単にこれだけ浮かんできます。
真剣に追い込んでいけばもっと出てくるのかもしれない。

色々な事柄に対しての身構えをしてから走り出そう


毎回、ガッチリ着込んでしっかりと準備をして走り出せなんてことは言いません。
我らバイク乗り、時には「歩いて5分のコンビニ」にさえ、バイクに乗っていくような人種です。

特別な儀式をしなくても気持ちが切り替わる

例えば、「歩いて5分のコンビニ」にバイクに乗って行くとします。
通りなれた地元の道。
見慣れた風景。
必ず生まれる油断。

あなたならどうしますか?

今の時代ではありえませんが、
時代が時代だったら・住んでいる地域によっては
「ノーヘルでフラッと走っていこうかな?」
なんて気持ちが芽生えたりしませんか?

嫌な思い、痛い思いをしなければ覚えられない

みんな、分かっているつもりなんです。
頭では理解しているのです。
現代社会は情報が溢れているので、
「事故を起こすとどうなるのか」
「ケガをするとどうなるのか」
インターネットで調べれば、動画や写真で見る事ができます。
筆者はこのインターネットで簡単に色々な事を知ることができるということが
バイクを乗る際に気持ちを切り替えることができない・下手な人が増えている原因だと考えています。
筆者がバイク乗りを目指し始めた頃はレーサーレプリカ全盛の頃であった。
峠道(ワインディングロード)を自分の実力目一杯の速度で走る。
一歩間違えれば転倒する。
判断を誤った奴は対向車に突っ込む、ガードレールと一体化する。
そんな事を目の当たりにしていました。
ディスプレイを通して見たのではなく、目の前で見ているのです。
バーチャルとリアルの差とでもいいますか。
「情景・音・声・匂い・温度」五感で感じて経験したのです。
時には仲間との別れを…
時には自分の骨の折れる音を聞き
嫌な思いをして覚えました。

嫌な思い、痛い思いをして覚えたことは忘れない

人間、いくつになっても勉強なんです。
筆者もすぐに忘れてしまうのですが、
日々学習しなければ生きていけないのです。
こう書いてしまうと、大袈裟で分かり辛くなってしまうのですが、

例えば、取り締まり


「ここは覆面(パトカー)が多いから気を付けよう」
「ここはよく白バイが隠れている」
「あそこの道は時々ネズミ捕りをやっているから気をつけよう。」
これらの事柄は、実際に体験したり、人に教えてもらったりして、
学習・勉強したことではありませんか?
走り続けるには学習が必要なんです。
「なんか取り締まりやっていそうな通りだな」
こういった予想・予感もこれまでに勉強した結果から導き出されるものです。
「それは経験から導き出されたものだ」
という主張をする人もいると思いますが、
【経験ってなんですか?】
実際に体験・体感したことを学習して覚えたことを蓄積して【経験】と言ってませんか。
この事柄に関して討論するつもりはありません。

例えば事故の多い場所

誰の地元にも必ずあると思います。
何故か事故の多い交差点や横断歩道など。
科学的な解析云々は今回の話とは切り離して考えてください。
何故、事故が多いと認識しているのですか?
過去に同じ場所で何回も事故が起きているということを学習しているからです。

事故の記事や画像・動画を見て魂に刻んでください

貴方も私も必ず事故にあいます。
そして、必ず死にます。
災厄を避けることで、事故にあう順番を遅らせることができます。
事故にあう順番を遅らせれば死ぬ順番も遅らせることができるのです。

どのようにして災厄から逃れれば良いのでしょうか。
安全な日常にいるという気持ちを「災厄に狙われている非日常」に切り替えればいいのです。
非日常の世界、「こちら側」にいると認識すればいいのです。
バイクに乗ったら、中二病になってください。
邪気眼を発動する必要はありません。
何者か(災厄)に狙われていると思うことが重要です。
言葉は違えど、生き延びているバイク乗りは似たような認識をしていると思います。

中二病を患う練習をしてください。


生き残っているバイク乗りは自然体でバイクと接しています。
自然とスイッチが切り替わっているのです。
ここまで付き合ってくださった貴方も、
いまだにバイク乗りを目指している筆者も自然体で意識が切り替われるように慣れる事を願います。
今回はここまでにさせていただきます。
ご安全に!!

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